シロクマの左手

孤独ゆえに濃く、そして濃いが故にクマ

文章を書くと"考える力"が自然に育つと思っている。

頭が良くなりたい。

たくさんの人がそう思ってるんじゃないだろうか。頭が良ければ、仕事ができて高い給料がもらえたり、人間関係がうまくいって生涯の友人も持つことができる。もしくはその可能性が高くなる。皆が羨ましいと思う魅力的なパートナーを持つこともできるかもしれない。

頭が良いと、人生がうまく行きやすくなるんじゃないかって思えてくる。

頭が良くなることで別のデメリットが全く生まれないわけじゃないが、僕自身も頭が良くなりたいし、賢くなりたい。賢くなって楽しく生きたい。

 

ただ、頭ってどうすれば良くなるのかわからない。
学校の勉強に打ち込んで高学歴をとっても、あまり魅力的に見えない人もいる一方で、中卒や高卒でも聡明で憧れるような人もいる。きっと"頭が良い"にはいろんな要素が絡んでいる。

 

・コミュニケーション、人の気持ちを汲むのに長けた人
・学問、研究が得意な人
・アート、クリエイティブなアイデアが浮かぶ人
・1つの情報から多くのことがわかる人
・考えて行動する人
他にも"頭が良い"にはいろんなタイプがいるだろう。

 

天才にしか理解できない"頭が良い"もきっとある。中でも僕は"思いを翻訳する"することができる人を、"頭が良い"人として今回は推してみたい。

 

 

文章を書ける人と書けない人の違い。

世の中にはびっくりするくらい文章を書くのが苦手な人がいる。文章を書けと言われても何を書けばいいのか、その取っ掛かりすら見当つかない人もいる。僕は一時期まで、こういう"文章が書けない人"は真剣に取り組んでいないだけだと、ひどい誤解を持っていた。自分が文章を書く機会に比較的恵まれ、上手い下手は抜きにしても文章を書くことに抵抗がなかったからだ。思ったことをとりあえず書き出して修正する、ただそれだけじゃないかと思っていた。

自分の感じたことを文字に起こすだけだから、あとはやるかどうかの問題だと考えていたが、彼らにとってはそういう問題ではなかった。

文章が書けない彼らはネタになる出来事や思いが無いわけじゃない。思いを翻訳する切り口を知らなかった。文字に落とし込む方法を学んでいなかったのだ。

そもそも、人間の心理はすごく大雑把な感想しか基本的には持っていない。良かったか悪かったかの2択。心地よかったか不快だったか。面白かったかつまらなかったか。その程度しか本来、心に浮かんでこないのだ。

 

あるヒューマンドラマを見た時に、その内容に感動したとする。はっきり言って感動した以外のことはあまり感じてないんじゃないかと個人的には思っている。だから友人に、この映画は感動したと言ってみるのだが、「感動した」の言葉だけでは相手に全く通じない。どんなストーリーで誰が演じていて、その内容はなんだったのかが分からないから想像しようがないのだ。

自分の感動した気持ちが相手に通じるように、いろんな切り口から話してみる。この思いをいろんな切り口から話していく過程こそ"思いを翻訳する"ことで、頭がよくなっていくのではないだろうか。

どんな切り口から伝えるとより相手に通じるのか
"考える"力が自然と育っていくのではないかと僕は考えている。